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リリアン・バスマン

Lillian BASSMAN

リリアン・バスマン(1917–2012)は、ファッション写真に革新をもたらした写真家として知られる。名門ファッション誌『Harper's Bazaar』の伝説的アートディレクター、アレクセイ・ブロドヴィッチの薫陶を受け、編集およびファッション写真の世界へと足を踏み入れた。

1945年末、『Harper's Bazaar』の姉妹誌として10代の少女向けに創刊された『Junior Bazaar』では、ブロドヴィッチの強い要望により、彼と共同でアートディレクターを務めた。革新的な誌面デザインを手がける一方で、リチャード・アヴェドン、ロバート・フランク、ルイス・フォーラーといった後に写真界を代表する作家たちの作品を積極的に紹介し、自身も写真家への道を志すようになる。

『Harper's Bazaar』在籍中には、昼休みに暗室へ通い、ファッション写真家ジョージ・ホイニンゲン=ヒューンのプリント制作を手伝いながら、ティッシュやガーゼを用いて画面の一部だけに焦点を与えたり、漂白剤で階調を操作したりする独自のプリント技法を習得した。

1994年に『B&W Magazine』のインタビューでバスマンは、「写真を撮り始める以前から、自分自身のプリント技法を確立したいと思っていました。輪郭は柔らかく、トリミングされた画面を求めていたのです。カメラが見たものとは異なる、新しいヴィジョンを創り出したかった」と語っている。

1947年、アヴェドンがパリ・コレクションの撮影で渡欧した際には、彼のスタジオとアシスタントを借り受けて写真制作を続けた。その後、ランジェリーメーカーとの重要な仕事を獲得し、1948年5月発行の『Junior Bazaar』最終号では、自身が撮影したウェディング写真による7ページの特集「Happily Ever After」が掲載された。

以後、ランジェリー、化粧品、テキスタイル広告で活躍し、細身で首の長いモデルたちを詩情豊かに描いた作品で高い評価を得る。とりわけランジェリー写真では、それまでの重厚で実用的なコルセット広告のイメージを一新し、軽やかさと洗練、そしてグラマラスな美しさをもたらした。

1997年、『The New York Times』のインタビューでは、「子ども、食品、お酒、タバコ、ランジェリー、美容製品まで、写真にできるものは何でも撮影しました」と当時を振り返っている。

1917年6月15日、ニューヨーク・ブルックリンに生まれ、ブロンクスで育つ。ロシアから移住したユダヤ系移民の両親のもと、自由な環境で育ち、15歳のときには後に夫となるドキュメンタリー写真家ポール・ヒンメルとの同居を認められた。

マンハッタンのTextile High Schoolでテキスタイルデザインを学び、その後、Pratt Instituteで夜間のファッション・イラストレーション講座を受講。自身の作品をブロドヴィッチに見せたことをきっかけに、その才能を認められ、授業料免除でThe New School for Social Researchの「Design Laboratory」へ迎えられた。そこでファッション・イラストレーションからグラフィックデザインへと軸足を移し、1941年には『Harper's Bazaar』でブロドヴィッチの無給アシスタントとなる。その後、Elizabeth Ardenで働いたのち、ブロドヴィッチ初の有給アシスタントとして再び迎えられた。

師譲りの大胆な感性を持つバスマンは、『Junior Bazaar』でグラフィカルかつ実験的な誌面づくりに取り組んだ。2006年には『Print』誌のインタビューで、「ある週は“緑色だけ”をテーマに決め、デザイナーには緑の服、緑の口紅、緑の髪……すべてを緑で統一してもらいました」と語っている。

広告以外の作品も『Harper's Bazaar』に数多く掲載され、ミューズであったバーバラ・マレンをはじめ、ドヴィマ、スージー・パーカーら当時を代表するモデルたちと親交を深めた。しかし1960年代のファッションの変化には共感できず、「モデルたちはスーパースターになり、私が求める存在ではなくなった。彼女たちは指示を受けるのではなく、自ら指示するようになってしまった」と後年振り返っている。

1969年、写真業界への失望から商業写真のネガの大半を自ら廃棄した。一方で100点以上のエディトリアル用ネガはゴミ袋に入れたまま、ニューヨークの自宅に保管され、その存在は長く忘れられていた。

1970年代半ばにはファッション界を離れ、果実や花、街路のひび割れ、ボディビル雑誌をもとにした男性の身体などを大型カラー写真で制作するなど、個人的な作品へと専念する。

転機が訪れたのは1990年代初頭である。ファッション史家・キュレーターのマーティン・ハリソンが、自宅で眠っていたネガを発見し、再び向き合うよう勧めたのである。バスマンはそれらを新たな視点でプリントし直し、1940年代から試みてきた漂白や調色などの暗室技法を駆使して、より抽象的で神秘的な作品へと再解釈した。

彼女自身が「リインタープリテーション(再解釈)」と呼んだこれらの作品は、新たな世代の支持を集め、作家としての再評価へとつながる。世界各地で展覧会が開催され、ハンブルクのDeichtorhallenでは夫ポール・ヒンメルとの回顧展が実現したほか、1993年にはロンドンのHamiltons Galleryで個展を開催。その後もパリのCarrousel du Louvreでの展示や、1996年には『The New York Times Magazine』からパリ・オートクチュール・コレクションの撮影を依頼されるなど、華々しい復活を遂げた。最後のファッション撮影は、2004年の『German Vogue』であった。

作品集には『Lillian Bassman』(1997年)、『Lillian Bassman: Women』(2009年)などがあり、その繊細で夢幻的なモノクローム表現は、20世紀ファッション写真を代表する独自のスタイルとして高く評価され続けている。

(出典:William Grimes, “Lillian Bassman, Fashion and Fine-Art Photographer, Dies at 94,” The New York Times, 2012年2月13日)

リリアン・バスマンの展覧会

グループ展

リリアン・バスマン、ヴィヴィアン・マイヤー、ウィリアム・クライン、オロール・ドゥ・ラ・モリヌリ、サラ・ムーン、須田一政、野村佐紀子、稲嶺啓一(東風終)

2026年7月8日(水) - 8月1日(土)
開廊時間|火〜土 11:00–19:00 (土 13:00–14:00 CLOSED)
休廊日|日・月・祝日